昭和48年09月25日 朝の御理解



 御理解 第67節 
 「何事も釘付けではない。信心を銘々にしておらねば長う続かぬ。」
 
 教祖の神様の御教えを基にして、さまざまの信心が進展、いわゆる展開をして行く訳です。限りがありません。それは此処で例えば教祖様の御理解又は、御神訓又は御神戒、言うならば、数で言うならば百八十何ケ条と言うならば、金光教のこういった素晴らしい内容を持った信心の教典というのは、たった是だけというのは珍しい。宗教界でも珍しかろうと思うくらいです。けれどもその内容は持っておる、その内容の深さ広さと言う事は、限りがないのです。
 それは私が二十五年、間この教典一冊でね、毎日聞いて頂いておる事から言うても二十五年間説き続けてきておってもまだ、説き明かしてないでしょう。唯そういう、広い深い内容を持っておる、その御教えですから、極まりなく進展して行く、又新たな分野と言う物が、展開されて行く。ですからこういう信心と言う物が、決められてその中で、例えば動きが取れない様な物では決してないと言う事を、私はこの六十七節には仰っておられるんだとこう思うんです。
 昨日、久留米教会の、教会設立記念式典が行われました。何時も若先生が参列しておりましたけど、今度は参列ではなくて、参拝という通知を、こちらから出しておったと言う事で御座いますから。昨日、お初穂を整理させて、その御初穂を、若先生をやる為にお初穂を作っておりましたら、私がおかげを頂く様に頂きます。ですからああ成程、参列ならいよいよ私は、参列と言うのはあのう装束をつけて、御神前でお祭りの奉仕員として、出席する訳ですけども。
 ただ、参拝と言う事の通知を出してあるのですから、ああやっぱり、私が参拝させて頂くんだなと思いまして、高橋さんと、それから久富繁雄さんと、二人一緒に、高橋さんの車で参拝させて貰ました。以前はそういう、記念式と言うのがあっとりましたけれども、それはまあ私の記憶では、形ばかりの様な感じのお祭りでした。けれども、三井教会の荒巻先生が、あちらの教会長兼務される様になって、それもつい最近、是は石橋先生の所の御在世中に、出来た教会が、二十七ケ所あるそうです。
 私くしはそのう、是は初代だけではないですね。今までに二十七ケ所、それに孫の教会、曾孫の教会というと相当数に上る訳でしょうけれど、その出社の教会の自覚というかね、久留米教会あって今日銘々の教会があるんだ。久留米教会設立というのはそういう意味で、大変意義のあるもんだから、大事にしなければならないと言った様な話し合いがおありになったんでしょう、親先生があちらの教会長としておかげ頂かれる様になって、もう本当に大祭並のお祭りがあっとります。
 昨日、本当に大祭並のお供えから、奉仕をされる先生から、参拝者でも普通にあったら本当に大祭ですけれどもそう言う例えば、威儀をもった(意義)言うならば久留米教会があって私達の教会がある。久留米教会の開設があってからこそ、銘々の教会があるんだと言う事に成って来ると、先生方は勿論の事、信者でも矢張りお参拝させて頂いて、その事を御礼申しあげるという内容になって来なければいけないと思うんです。
 けども実は、だから上がってない訳です、お祭りだけは例えば此処の教会と違いましたから、お供物なんかは全部買い揃えてからで御座いますから、それはもう見事な事です。けれども、あの見事な事ですけども、銘々が真心込めてお供えすると言う様な物ではないですから、大盛り一台ある訳じゃなし、唯二十台のお三宝にそれこそ色々先生方のお心を使われたお供えがしてあるだけでありましてね。大祭並みの心は使うてあって実は、上がってないという感じでした。そういうお祭りでしたが本当におかげを。
 高橋さんと話した事でした。是はもう愈々合楽がおかげを受けにゃいけませんなと言うて、合楽がおかげを受けると言う事は、なら是は親教会、又その親教会である所の久留米教会の言うなら初代石橋先生の信心を現す事になるのですからね。というてなら私の生き方を久留米地区の先生方に例えばいうても、又聞きなさらんだろうし、合楽は合楽的な物であってと何か違う物の様な見方をされておるのが、久留米地区の先生方なんですから、又関係の先生方もやっぱりそうなんですから、致し方ないですけれども。
 是は愈々合楽がおかげ頂かしてもらうと言う事がです、一時は昨日お祝詞にも申しておられましたが、信者三千名と御祝詞の中に奉上されましたですね。それがそうですね、それこそ二十七、直接の出社だけでも、二十七の教会があると言うのに、そうですねまあ、まあ五十人くらいのお参り、御参拝は。いくら御大祭並みに構えの方が出来ても、是ではなら、久留米教会が設立された記念、本当にこの記念を御礼申しあげるべき記念する、記念の式典だと言う風に。
 お互いが本当の意味で、信心で自覚したらあんな事で良かろうはずは絶対ないと、私は思いました。そこでです私は此処に今日思いますのは、信心は釘付けではない、何事釘付けではない信心を、銘々にしておらねばと言う事です。昨日、角(すみ)先生の御開教でした。今の教務所の次長をしとられますでしょうか。それはね如何に初代石橋松次郎先生の信心を銘々の教会の手元の所でどの様に受け、どの様に現しておるかという講題でした。石橋先生の信心といえば、いうなら信心辛抱を軸にした。
 所謂芯にして信心が展開してきているとう言うても良いと思うんです。信心辛抱さえしとら、物事は整わぬ事はないと。二代金光様、四神様から御教えを頂かれて、それを軸にしてお互いが助かっておる。まあ確かに私共も、初代石橋先生を頂いている、お話の中には、信心辛抱というお話が殆どであった様に記憶しとります。信心辛抱さえしときゃ、おかげ頂くよと言う様な意味の、御理解を頂いてまいりました。大変御用精神の強いお方であったから、もう親教会の何だと。
 例えば、ある時御大祭を、盛大に仕え終えられたその後に、親教会の福岡教会ですけども、またその親教会が小倉教会、そして事実小倉教会で、修行なさっとられますから、桂先生の所の総代さんが、大きな風呂敷をもって、石橋先生の所へ御大祭の後に参って見えられた。そしてこの風呂敷を用事が、どういう用事か桂先生おっしゃらなかった。この風呂敷は石橋先生の所へ持って行けば、石橋がちゃんと分かると仰った。それでその総代さんは石橋先生に、桂先生からこうこう言われた。
 今日はおかげ頂きましたと言う事であった。そしたらその石橋先生がその風呂敷を持って、ああそうですかというて風呂敷一杯のお包みをもって、その日の御大祭のお初穂の全部を包んで、こと付けられたと言う様にですね、もう非常に勿論無欲のお方であった事は勿論ですけども、もう本当に欲得のない所謂我情我欲のない、まあそうですね私共が記憶しとるだけでも、本当に大空を眺める様な感じの先生でした。御態度も立派な先生でしたがね、だからこそそういう言うならば、御ヒレイが輝いた訳なんです。
 それに信心辛抱という、信心を基にしての御布教であった。だからそういう信心を石橋先生の信心を今日の時代にどう頂いて、どう手元の所でそれを頂いて、それをどう現しておるかと言う事をまあお話になりました。果してその二十七の教会、全部いうたらもう五十にも六十にもなるでしょう、久留米教会例えば合楽教会というように孫の教会になりますところをいれましたら、沢山の事になるでしょう。果してめいめいのところで、どう現されておるだろうか。
 如何にも、石橋先生の信心を、合楽は、全然頂いておらんようなふうに言われます。久留米地区の方達は、だから、全然合楽にゃ魅力を感じなさらん証拠には、いろんな会合には、久留米地区だけですね、見えませんのは殆ど。むしろ、甘木関係の方が合楽、合楽と言うて見えるくらいです。不思議な現象です。けれども、私はやっぱり何というても、久留米の石橋先生の信心、言わば信心を私は斯く現して、斯く現しておるんだと、私は確信しております。
 唯、問題は釘付けではありませんから、釘付けではありませんから、限りなく進展を遂げておるのが合楽の信心だと思うんです。とにかくねあの御広前があんまり煌々として明るくなると、余り助からんごとなるね 明るい教会で、どんどん助かるということはなかでっしょうがと言うて帰り高橋さんと話したことでした。もうとにかく内殿の御神燈がもう、大きなもう赫々と、もう何というでしょうか、一つの神秘性的なものが、非常に欠けますね。言うなら霊験的な物が欠ける分けです。
 いわゆる、げを受けるという雰囲気がなるなる訳です。此処はどうしてこんなに暗くしてあるですかと、始めて参る方が聞くくらいですけれども、何とはなしに。と、昨日でしたか、此処の教会に来らせて頂いたら、此処では、助かられるなと言う思いが一番にするという、それは、何とはなしに落ちついて、御祈念が出来る。薄暗い感じですけど、暗いとか、明るいとかじゃありませんよ。けどもそんな風に、例えば石橋先生の時代から段々変わって来ておる事がです。
 おかげが段々、薄うなって来る様な変わり方ではいけないと言う事なんです。だから例えば石橋先生の信心を基礎とか、手元の所に頂いて、それが人が助かる事の為に、それが進展していかなければ、そう展開されて行かねばならないとそういう事が、釘付けではないと教えておられるんだと私は思うんです。皆さんでもそうです、合楽の信心を頂くと、こう言うても、言うならば、それは大坪の信心を頂く事になりましょう。それで皆さんの手元の所でです、なら、大坪の信心、言うなら親先生の信心をです。
 皆さんが頂いて下さって、そこから皆さんがもっと良い助かりの道がです、動いて行かなければいけない。展開されて行かなければならない。だから場合には、似ても似付かない様な風に進展して行っても良いと思うです。けどそれには、それなりにおかげが伴うて行かねばいけません。どんなに石橋先生がこう仰られたからと言うてです、石橋先生のそれをもう一歩でもそれをその言われた事から外にははみ出さない様にして行って、一つも人が助からなかったり、大きくならなかったら、是はおかしな話ですよね。
 釘付けではないですから、繁昌もしない代わりに、段々小さい方へ小さい方へ動いて行っていると言う事にもなる訳なんです。石橋先生の御信心を例えば、私共が信心辛抱というところを頂くと同時に、先生のもう本当にこんなに美しいというか、御態度も御内容も今申します様に、もう事神様の事だったらいうなら、惜しげ悪し気がないと言われるくらいな、生き方と言う様な物がです、是は合楽でも他所の教会でも、そう言われましょうけれども、合楽では其処ん所を一番頂いているとこう思うんです。
 ですから私共でも、事神様の事で此処にどうでもという時です、ならこの御広前全体が、お供えせろといわれるなら、何時でもお供え出来るという私しは気持ちでおります。勿論信心辛抱ということは、もうここ二十何年間、それこそまあ普通では辛抱出来ない様な所でも、本当にその御教えに縋って、信心辛抱させて頂いて、今日の合楽がある。これからの合楽でもどう言う風に変わって行くか進展して行くか分かりません。例えばならこの御広前が全部椅子掛けになってしまうかもしれません。
 どんなに変わっても良いと思う。それはなら、明るくなっても良いと思うんですね、言うならば初代はとにかく薄暗い所が好きだったけども、こんな事は何だから、明るくせにゃというて、何処も此処もガラス張りにして明るすると言う事になっても良いけれどもです。それは必ず人が助かると言う事、おかげが受けられると言う事にです、繋がらなければ、どんなに素晴らしく変わって行っても、おかげが伴うて行かない様な、変わり方ではいけないと私は思うです。
 と言うて親先生は、こう言ういき方だったからと言うてです、それを型の中に入れてしまう様にする必要はない。それを基にしてやはり大きく展開して行かねばならない。昨日そういう久留米のお祭りにおかげを頂いて、そしてお祭りは沢山の先生方で奉仕で立派なお供えが出来られた。けどあれが本当に一つの教会から、お三宝が一台づつでも集まってね、あれが出来ておるなら、もっと素晴らしかろうとこう思うた。
 是だけの先生方が御奉仕をなさるならそれに匹敵する様に、あの御広前が割れる様に信者が集まったら、それは素晴らしかろうと思うた。是では如何に久留米教会の開設があってこそ、私共の教会があると言うてその信心手元の所に頂いて、現しておると言う事が言えますけども、是はおかしい。久留米教会、手続き全体が考えなければけいないと私は本当に、そう言う風に思いました。そして是は人じゃない。
 先ずは合楽教会自体が本当に、合楽教会大発展の祈りをです、愈々本当の物にして行かなければいけないと言う事を思いました。そして言わば展開して行くというのはその時代時代に即応した生き方、どんなに変わっても良いけれども、けれどもそれは何処迄も、人が助かるお言う事には密着しておらねばならない。必ずそれが伴うておらなければ、変わって行くという、変わり映えがしない事ではいけません。
 先ずはだから、合楽の生き方と言う物を、本気で踏んまえて本気で頂いたその上で色々の信心が新たに展開して行く事にならなければならない。合楽の信心を頂かずして、唯自分流我流で、いうなら割り切ったというか、ドライな信心にもし隋して行くとするならばです、必ずおかげは伴わない様に成って来るでしょう。信心を銘々にしておらねば、だから銘々の所でどう現して、もし現すことが出来てなかったら。
 如何にその事を麗々しく言うた所で、内はもう石橋先生の御流儀で行っとるからと言うても、人が助かりよらんなら、是はこんな詰らん話はないのです。石橋先生の信心を基にして、此の様にしておかげを頂いて、是は余り言われませんけれども、石橋先生の御教えの中に、天地神明に不足を言わずと言う様な御教えがあるのです。是なんかは、がっちり合楽では受け留とる感じがするのです。
 それをもっともっとこう水も漏らさぬ様に行っているという感じがします。天地神明に不足を言わずと言う事、その事がです成り行きを大事にと言う事なんです。どう言う事が起こって来てもです、不足をう言わないと言うのが天地神明に不足を言わずと言う事なんです。合楽はそれをどう言う事が起こって参りましても、それを成り行きとして神様の御働きとして、それを合掌して受けて行くと言う風に、言うならば。
 頂いた信心がその様なふうに展開して行っとる訳です。確かに是は何事でも釘付けではないが信心もその通り、けれども信心の釘付けでないというのは、より良い方に進展して行くという釘付けでない言うのでなからなければ、意味がないと思うのです。先代がこういう信心をしておられた、それよりか余計おかげを頂いてはならんと言う事は決してあって良かろうはずがない。
 先生の信心が百なら百頂いてあったのをなら百十頂いたらそれはもう枠から出ておると言う事が良かろうはずがない。久留米の初代の時に三千の信者がおったならです、なら一万になったらというて私は言う事はない。それは言うならば、親勝りのおかげを頂いてこそ、なら親が喜ぶ様な物じゃないでしょうか。そういうおかげが伴うた所の、釘付けでないという信心でなからなければならんと思うですね。
   どうぞ。